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最高裁判所第二小法廷 昭和23年(オ)75号 判決 1950年12月01日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人等の負担とする。

理由

上告理由第一点について。

原判決は、その挙示の証拠を綜合して、所論補償契約は、天川村村長及び委員数名が、同村兼全村民の代表者名義で、相手方会社と、村民の有する河川使用権について、判示のごとき内容の契約を締結したものであることを認定したのである。所論は畢竟右補償契約は、天川村という一個の自治体が自治体として自ら享有する河川使用権を対照として締結されたものであると主張し、右村長等が、上告人等村民をも代表して右契約を締結したとの原判決の事実認定を争うものであるが、原判決挙示の証拠によれば、原判決認定の事実を認めることができるのみならず、原判決の如上の認定は、前掲上告人主張の事実と相反する限度において上告人の主張を否定するものであることは、原判文上明らかであるから、原判決には、所論のような判断遺脱の違法はみとめられない。又右代表者関係の認められる以上、原判決がその判示のごとき村民等の所為によつて、右契約は追認せられたものと判定した点において、所論のような代理の法則を誤解した違法ありとすることのできないことは勿論である。論旨は理由がない。

同第二点について。

原判決は、天の川流水の減少は、判示電気会社が、この河川の管理者である奈良県の許可した使用水量の範囲を逸脱して河水を使用するに原因するものであるとの上告人の主張に対し、本件において、右の事実を認めるべき証拠はないとし、尚前示会社が奈良県知事の企業許可命令によつて負荷された所論のような条件に違反しているかどうかの点については原判決は、前示補償契約で同会社がこれらの事項を履行することを条件としたことは、これを認める証拠がないとして(即ち、かりに会社側に違反のかどありとしてもそれが上告人等の権利に消長することのない趣旨を明かにして)上告人の主張を排斥したのであつて、原審に所論のような釈明不十分等の違法ありとすることはできない。

同第三点について。

一、原判決の主文第二項を、これに照応する判決理由中の説明と対比するときは、右主文第二項の趣旨は、上告人等は、その居住地域の住民として、同地域において流木の為にする天の川の河川使用権を有することを確認するというにあることは明らかである。右主文の記載に明確を欠くの瑕疵はあるけれども、理由中の説明と対比することによつて、如上の趣旨を明らかにすることができる以上、かかる瑕疵をもつて判決を破棄すべき違法とするには当らない。

一、原判決が同川流域の上告人等の居住地域における河川使用権を認め、上流における河川使用権を認めなかつた理由は、原判決の説示するところによつて、極めて明らかであつて、所論のように、河川使用権の本質を誤解した違法あるものとはみとめられない。

一、原判決は、上告人等は、その居住地域の住民として、同地域において、流木のためにする天の川の河川使用権を有するとする趣旨であつて、その河川使用権は、各住民の居住地の上流に及ばないとする趣旨であることは原判文上明らかであつて、その間、所論のような矛盾をみとめることはできない。

同第四点について。

原判決は、所論九尾えん堤に流木路の設置を求める上告人の請求については、上告人等の流材による河川使用権は前叙のごとく、上告人等居住地域の上流においてする流木に及ばないのであるから、その居住地域の上流にある右えん堤に流木路の設置を求めることはできないと判定したのであつて、その間所論のように甲第一号証について、法則に違反して解釈したことはみとめられない。(魚道に関しては、原判決は何等判断を与えていないのであるからこの点に関する論旨は採るに足りない。)

同第五点について。

原判決は、現在わが敗戦後の経済の復興再建における電力事業の重要性を強調し、若し、被上告会社が上告人等のために流材に必要な河水量をこのえん堤から放流するとすれば、同会社の事業に大きな障害を与えるであろうことを説き、必ずしも上告人等の死活に関するような特に甚大とも言えない本件損害のごときは、(殊に原判示のごとき補償契約の厳存する以上)上告人等はこれを忍受しなければならないと説示したのであり、右に関する事実関係については、逐一これが根拠となるべき証拠を判示しているのであつて、如上原判決の判断は正当であつて、所論のような理由不備、審理不尽等の違法はみとめられない。論旨は理由がない。

よつて、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

右は全裁判官一致の意見である。

(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎)

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